プラハ城

ヨーロッパのほぼ中央に位置するチェコ共和国は、10世紀に生まれたボヘミア王国を起源とし、プラハは1000年以上もの間、その首都として機能してきた。

プラハはもともとヴルタヴァ川の小さな川港のある街に過ぎなかったが、中世には黄金のプラハと言われるまでに栄えた。
9世紀にプラハ城が建設されることがプラハの歴史の始まりである。

プラハ城の旧王宮には代々のボヘミアの国王が暮らしてきた。キリスト教の聖人のヴィートの遺骨が納められている聖ヴィート大聖堂はプラハ城のシンボルとなっている。

大聖堂内部の聖ヴァーツラフ礼拝堂には10世紀の名君と言われた国王ヴァーツラフの墓がある。
死後聖人となった聖ヴァーツラフは大聖堂の礎となる小さな教会を建設した。ボヘミアの君主はヴァーツラフの意志を継ぐものと定められ、国王の戴冠式は聖ヴァーツラフ礼拝堂で行われることになった。

神聖ローマ帝国の皇帝であったカレル4世は生まれ故郷のプラハを帝国の首都とし、中央ヨーロッパで初めての大学を設立した。
プラハで最初の城下町となったペトシーンの丘には、カレル4世の時代に飢えの壁という防壁が築かれた。

この壁はプラハに職を求めて集まる人々のための公共事業としてカレル4世によって行われた。

Comments are closed.